アトリエ便り 2021年

2021年7月3日 泥より出でて泥に染まらず

 街路樹の緑が雨に濡れ、みずみずしさが映えるシーズンに入りました。
小暑(7/7、七夕)を迎えると「暑中見舞い」の季節ですが、大部分の地方では、まだ梅雨が続いています。
 そんなさなか、開き始めた蓮の花は、どんよりとした心をなぐさめてくれます。
もともと蓮は「はちす」といったようですが、それは実が蜂の巣に似ていることから、その「はちす」が変化して「はす」に。
蓮は、おなじみの蓮根を始めとして、実、葉、茎や根もほとんど全ての部分が、食用・薬用となります。
昔の人にとっては夏、最適の滋養植物だったのではないでしょうか。
 それにしても、その花の美しさはとても泥の中で生まれたとは思えないほど、凛として清らかです。
「泥より出でて(でいよりいでて)泥に染まらず」と言われ、心を洗ってくれる花ともされてきた所以です。
 私は毎年、上野まで出かけて蓮の花を眺めるのを楽しみにしています。
大きく開いた花は、それはそれは見とれるくらい見事ですが、蕾がすこし開きかけた風情もなかなか素敵です。
コロナ禍の時代だからこそ、ひとり静かに心を洗ってみることも良いのではないでしょうか?

 今年はまだ出かけていないので写真は以前のものです。


2021年6月1日 嘉祥の儀

 カマキリが生まれ、蛍が飛び交う季節になりました。
いつ梅雨入りしてもおかしくないので、オシャレなレイニーグッズをそろえ空を見上げていますが、本格的な梅雨入りは中旬になるのでしょうか?
 更新している6月1日は、初夏を先取りしたような爽やかなお天気です。
6月5日は二十四節気で“芒種”を迎え、イネ科の植物は種を蒔く時期が来たことを知らせています。
私の生まれ故郷では麦の刈り取りと同時に田植え風景が見られ、春から夏へと変わる命の躍動を感じたものでした。

 6月といえば「嘉祥の儀」、江戸時代の図鑑百科事典によれば「和漢三才図絵」の中で仁明天皇により“嘉祥”と改元された848年6月16日。
16個の数にちなんだお菓子を神様や仏様の前に供え、厄除けを祈ったことがその名の由来と言われています。
庶民の間に広がったのは室町時代から江戸時代にかけてから。
現代では「和菓子の日」になっています。

 さて、この嘉祥の儀。
武家社会では嘉祥通宝(お金)の嘉と通が“勝つ”につながる縁起から、6月16日に嘉祥通貨16枚を使ってお菓子を購入すると招福・厄除け効果があると信じられていたようです。
そんな時代に、しばし戻り・・・160円、1600円のお菓子を購入してみるのも楽しそうです。
でも? 消費税のカウントは? というマニアックな人は江戸っ子流。
16の桁をばらして1と6にして、それを足した7でも大丈夫。
「いちいち細けぃことにガタガタ言ってると、せっかくの運が逃げちまわぁ」と、時代劇の中に出てくる長屋の人は言っていたのではないかしら?

 さぁ、6月の後半は陰陽の交換、夏至がやってきますよ。
心身のコンディションを整えておきましょう。
大自然界の呼吸に合わせることは宇宙の法則に添って生きること、そのものなのですから。

 下の写真は、カエルの合掌が聞こえていたアヤメ畠でした。

2021年5月1日 リニューアル

 新緑が眩しい季節になりました。
ベランダの薔薇たちも次から次へと、かたい蕾をほどき始めています。
全てが輝かしい5月・・・のはずですが、過日久しぶりにお化粧してみて、もうガックリ・ビックリ。
 余りにも長い期間、“化粧する”ということを放念していた(自粛という大義名分の下にですが)ため、我ながら何だか変な手順?
そして、完成図を鏡で覗き込むと、オカメインコのような顔が!
やはり日々の美意識の問題なので、たとえ外出は控えていても装いに手を抜かないようにしよう。
と、反省モードの今日(コンニチ)です。

 さて、5月の天体では26日(水曜日)射手座内にある月で皆既月食が起こります。
もしお天気が良ければ20時を過ぎるころには観察することができます。
占星術的に言えば、一時的にせよ魚座に移動する木星の影響を受けて劇的なドラマが・・・ということになります。
生活習慣を大きく変化させることで思考回路の配線に変化が起こり、やがてそれが縁を変え・登場人物も変え・・・と、運命全体に大きな影響を及ぼすことになりそうです。
 これまで何か変えていきたい、と思っていた人には良いチャンス。
この日からターンする自分自身のシナリオを制作しましょう。

 私は新しい月に先駆けて、久しぶりに写真をリニューアルしてみました。

 

2021年4月1日 春爛漫

 一年前のこの日は、まだこれから開花する桜もあり、もう少しお花見ができたような気がします。
今年は3月中旬を迎えた頃から届いた花便りに、人通りの少ない場所を選びながらプチ花見をしておりました。
温暖化なのでしょうか、それとも桜がセッカチになってきたのでしょうか?
いずれにしても小学生時代、入学式の頃になると桜のトンネルをくぐり抜けていた頃と、季節感のズレを感じています。

 さて4月といえば、旧暦4月8日はお釈迦様の誕生日。
日本では新暦でお祝いをしていますが、灌仏会・降誕会・仏生会・浴仏会・龍華会とも言われているようです。
花御堂の中に入ったお釈迦様の、お立ち像に竹のひしゃくで甘茶をかけお参りします。
 この習慣は生まれたばかりの身体に、九つの龍が天から綺麗な水をかけ産湯としたから・・・、或いはまた空から甘露の雨がふってきたから。
花びらと共に四天王や天人が降臨して、お釈迦様の誕生を祝福したから等、諸説様々です。
灌仏とは仏さまに香りのよい水をそそぐことですから、この日の開運アクションに好きな香りのお茶を飲むのも良さそうです。

 ところで「お釈迦になる」という言葉は、この灌仏会にいわれがあります。
江戸時代の鍛冶屋が使っていたもので、火が強すぎてダメにした金物に対する隠語。
「し(火)がつよ(強)かった」という江戸弁(江戸弁は「ひ」と「し」がいれかわる)が、「しがつようか(4月8日)」に通じて「お釈迦」という言葉になったのだとか。
 ともあれ、この日だけではありませんが、お料理では火加減に気をつけた方が良さそうです。

 さて、みなさまの4月はどんなプランですか?
コロナ禍に振り回されてはいるものの、できる範囲で春を満喫してくださいね。
一度しかない人生ですから!

*写真 多摩川の河川敷で見つけたヤマザクラです。

2021年3月1日 春は・・・、あー眠いです

 3月は交感神経と副交感神経の連絡が、うまくいかない月なのでしょうか?
砂塵を巻くが如く勢いのある日と、ネコもビックリ! というくらい一日中寝てばかりのサイレントモード日が交差しています。
「春雷」と「春眠暁を覚えず」が同居しているシーズンなのだから、体内時計が混乱を起こすのも当たり前?
といえば当たり前ですが、こんな調子のひと月間はウッカリミスのひとつがあっても、おかしくなさそう。
さぁ、今日から気をつけなくては・・・。

 それにしても今日、この更新原稿をタイピングしながら、2月は28日でひと月を終えることに今更ながら焦っています。
原稿を含め手紙の返事、読書や調べものの目標達成が遅れているのです。
しかもこの期に及び、「あと三日あれば全て間に合うはず」と思ってしまう浅はかさ。
我ながら呆れつつ、同時にいつも
“月の終わりの三日間で、まるで一本背負いをするように片づけていたのかも?”
の思いが心の中をよぎります。
かつて、夏休みの宿題を新学期前の三日間で、どうにか終わらせた、もの凄いシーンが蘇ってきました。
 一番苦労したのは押し花です。
何しろ急にできる代物ではありませんものネ。
アイロンをかけたり、布団の下に敷いて寝てみたり、本当に大苦労。

 もはや、この体質が定着している自分にとって今夜は徹夜で、ひと月の辻褄を合わせることになりそう。
たぶん誰にも生涯修正困難な生き方癖のようなものがあると思います。
私と似たような方がいらしたら、ひと月の晦日には煩悩を抱えつつ、この持病? を慈しみつつ頑張りましょう!

 さてもうひと頑張り。
キュッ!
 ここ、気持ちを引き締めている音です (+_+)

 

今か今かと、ハクモクレンの花が開くのを待ち構えていました。

 

ここのところ、毎朝メジロがベランダを訪れてくれます。

2021年2月1日 雲のように

 目を閉じれば風の中に梅の香を感じるような二月の朝です。
「春がやってくるのね」と芽生えを感じて、空を見上げるとゆったりと流れる雲をみつけました。
光とたわむれながら雲は様々なものに姿を変えていきます。
龍とか像、たまに猫にも見えることもあれば、怖い鬼の顔にも見えてきます。
刻々と様相が変化するのが面白くて、しばらく眺めていました。
 そしてふと、なんだか「人生のお手本」のようだなぁと・・・。
ひとつの形に固執せず、あの雲のように自然の流れに任せることができたなら、きっと素敵なことが待っている。
そして、ここぞという時にこそ存分にこだわる力を発揮できるのでは?
と、そんな気がしてしまいました。
 集中力を養いたい人は雲に弟子入りしてみましょう。
春の海を眺めながら、心の芽に栄養を与えたい今月です。


 赤く大きな、こんな強烈な雲もありました。
都内から見た夕焼け空、遠くは丹沢の大山です。

2021年1月1日 2021年新年によせて

  • 「 あらたまの新しい年のお慶びを申し上げます。
    コロナ禍に見舞われ、今までにない時間と空間の中で過ごした昨年でした。
     気持ちの切り替えのために、様々な試みをした方もいらっしゃると思います。
    私も身の回りを見まわし「要る・要らない・・」とにわかに片づけものをしましたが、一向にはかどらないどころか、懐かしい思い出に囲まれてほのぼのしてくる始末。
    これでは片づけなど、できるわけはありません。
     私の年になると終活のために片づけを余儀なくされているように、なんだかモヤモヤしながら片づけている友人もいます。
    捨てたあとで悲しくなって、また拾って帰ってきたりしたそうです。
    確かに不要なものを捨てることは良いことですが、一度よーく考えてからにしてください。

     2021年を幸運に過ごすポイントは「取捨選択」センスを磨くこと。
    本当に大切なものと離ればなれにならないように、大事なものを手放さないように、マトを絞ってからデリート作業にとりかかりましょう。
     何を信じたらいいのか分からない時代の中にいるからこそ、本当に信じられるものを持つこと。
    そして本物を見極める心眼をみがいてください。
  •  本年がみなさまにとって素晴らしい年になりますように。