アトリエ便り 2018年

2018/4/1 卯月、花の贈り物

 入学 花見 長閑 紋白蝶 春眠 桜 朧月 歳時記の本を斜めに眺めているだけで季節からやってくる目印を目にして楽しい気持ちで満たされる。

 季節からの贈り物は、どれもこれも素敵なものばかりだけれど、春のギフトはドカーーンと大きな花束が届くのでとりわけゴージャスな感じがしてしまう。
 最初に梅が咲き、続いてあちらこちらで辛夷(こぶし)が蕾をほどき満開を迎えるころ、これでもかといわんばかりに桜の洪水が押し寄せてくる。
風の中にツーンとした香りと妖艶な匂いが調香されているこの頃、時間も空間も忘れてしまうような浮世を離れた気持ちになる。

 桜の花が五分咲きくらいの時には、友人や恋人と眺めながら楽しい会話とシャンパンが合いそう。
でも、満開の桜はひとりで見るのが似合うような気がする。
ぼんやり風でも、高揚感でもなく、綺麗とか美しい等、どの言葉をもってしても表現できない・・・。
桜はそんな世界につれていってくれる。
“人は秘かにどこにも属さない自分に憧れている”私は、春がやってきて桜が咲くころになると、毎年同じようにそんなことを思ってしまう。

 四月は十二の季節の中で秋に匹敵する浪漫の月。
ご乱心で仕事が疎かにならないかと、やや心配ではあるものの、しばし現実から離れた心の部屋で、散り際のはなびらにまみれながら過ごしてみたい。

 ねがわくは 花のしたにて春死なむ 
  そのきさらぎの 望月のころ 

 この歌を詠んだ西行法師の心持ちを察するに、静かで穏やかな春の光に抱かれながら、幸せで満たされていたにちがいない。
人は、金銭や物質的幸福のみならず、花鳥風月に感ずる気持を研ぎ澄ませることで容易に幸福感を手に入れることができる。
自然界からの恩寵に感謝したい。


【写真】
3月の終わりに夜桜を楽しみました。
神田川は花筏、そして椿山荘の庭園です。

2018/3/1 弥生のスタートと一念発起

 気がつくと梅の蕾がほどけ、各地で摘み草の話題を耳にする季節がやってきた。
小学校の前を歩いていると卒業式の練習中らしく「蛍の光」を合唱する声が聞こえていた。
春愁も手伝って暫く合唱に聞き入り、その昔、幼稚園の卒園式で旅立つ園児たちとこの唄の練習をして、当日には泣きながら歌ったことを想い出した。
帰り道にそういえば、この名曲はスコットランドの民謡ということは知っているものの、どうして蛍の光と窓の雪が登場するのか、とても気になった。
気になることは、早く調べなくては!と。
 帰宅一番、鋭意調査開始というわけで春疾風も顔負けの勢いで調べてみたら、この歌を日本語に訳した方は稲垣千穎(いながきちかい)という詩人であり歌人だった。

 

 「蛍の光」は、晋の時代、家が貧しいが故に明かりをともす油が買えず、夏には薄い布地で縫った袋の中にたくさんの蛍を入れて、その光の元で勉強をした苦学生の辛さを。
「窓の雪」は、冬になると窓辺に積もった雪あかりで書物を読んで勉強に励んだという、同じく苦学生の切磋琢磨を。
蛍の光は、晋書(しんじょ)。
窓の雪は、蒙求(もうぎゅう)で元来は別々の故事。
この二つを組わせて日本語に訳した、訳者もまた蛍雪の功をなした人に違いない。
 現代においては、考えられないことのひとつとはいえ、情景が浮かび何だか背筋が伸びてしまった。

 

 「春眠暁を覚えず・・・」とばかりに朝寝坊を楽しむ例年の春を卒業して、この春はシッカリ始動モードに入らなくては!
なにしろ、フランスの作家、ラ・プリュイエールによれば「人生には三通りの事件」しかないのだそうだから・・・。
生まれる・生きる・死ぬ。
生まれることは無自覚で、死ぬ時には大いに感じるものの、生きている事は忘れているそうな。
弥生のスタートと同時に一念発起。

 

 写真は、おそらく野鳥が我が家に運んでくれた(と思います)種から育ったカタバミ。

可愛いですよ。

2018/2/1 今日から如月

 一年中で一番の厳寒期。
でも、風の中には春の香りがほんのり・・・。
肌寒い公園を歩いて、大自然が調合している早春の香りを楽しみながら「幸せってなんだろう?」とふと考えてしまった。
あれこれ想いを巡らせながらも「幸福か不幸か、などどいう観念が少しも浮かんでこない時が、一番幸福なのではないかしら」そう思いながら。
では、どんな時にそんな感じになるのだろうか?
と目の前の白い梅に問うてみた。
 早咲きの梅は、優しくも妖しい香りを漂わせ
「夢中になっている時かもしれないわねえ」
といわんばかりに私の目を奪ってくる。
この無言のやりとりを通訳する精霊がいたら、きっと
「余計なことを考えないで春の兆しに包まれながら暫し我を忘れるのが幸せというものなのよ。理屈や御託を並べていないで、感じてごらんなさい」
と、梅の肩を持った訳をするに違いない。
 なにもかも忘れて、夢中になっている時は誰でもその心の中は赤ちゃんのように無防備、隙だらけでなにも飾っていない。
最高に自分らしくなっている。
自分らしく生きるためには、お金も時間も食事も睡眠も、周囲の人間もすべて念頭から消え去った状態に没入する時間を得ること。
幸せの極意は、夢中になることからやってくる。

 この日は、梅の魔力に惹かれて「夢中」の時間がながく続いた。
まさに夢の中。
帰りがけにふりかえると心なしか、梅の花がより一層白さを増していたように思えた。

 そういえば、と・・・急に思い出したのは
「花が花の本性を現じたるときもっとも美しくなるが如く、人間が人間の本性を現したるときは美の最上に達するものである。」
 大正から昭和初期の哲学者、西田幾多郎の言葉だった。

 今日から如月がはじまる。


❤2018年1月1日  新年のご挨拶

 

 あけましておめでとうございます。
新しい年があけました、今年も宜しくお願い致します。

 2018年最初の提案です。
“運命はいつも自分の掌中にある。”
新年そうそう縁起でもないけれど「一寸先は闇」という言葉があります。
人間の未来、これから先の運命は予測できないといった意味で、人生に対する不安や絶望など否定的な言いまわしで使われてきました。
しかし、「一寸先は闇」はもっと、肯定的にとらえても良いのではないかと思います。
つまり、人生なにがあるかわからない!
どんな素晴らしいチャンスが巡ってくるか未知数、というふうにも解釈できるのです。
しかし、元々自分に与えられている資質は知っているにこしたことはありません。
本当に自分のことを良く映し出してくれる鏡があればどんなにありがたいことでしょう。
そこで、占いと自分自身の中に眠る感性が大いに役にたつのです。
今年は自分の気持の中にある感性を良く磨いてみてください。
感性は鏡の役割を果たしますから、レッスン次第では素晴らしいコンパスになる可能性があります。

 イギリスの劇作家であり随筆家のスティルは「すべての人は自分の運命の創造者である」と語りました。
あなたもその一人でありますように。
本年、あなたに大いなる自己実現がありますように。