MyDiary(エッセイ)

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2017/4/11 第5回 春のお客さま
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 入学や就職、結婚など人生には大きなイベントがあるのでそれらと比べればささやかで小さな、小さな舞台。でも、その小さな舞台を心の中にある虫眼鏡を使ってみるとほのぼのとした景色が見えたりする。

ある日のこと、処はベランダに置いてある植木鉢。主人公は名も知らぬ小さな芽。いったい、どこからやって来たものか?まだ、うら寒い春の朝、ヨイコラショと言わんばかりに両手で土を持ち上げるようにして立っていた。
種を蒔いた憶えはないので大きくなってのお楽しみ的出会いではあるけれど、それがまた神秘的な感じもして自然界からの驚きがうれしい。ところで、植木鉢の先住者は、柿の木だけれど新参者との相性が良いといいなぁと思ってしまうのは、長い事続けてきた占い的な視点が働くからなのだろうか。ほとんど、無意識、瞬間的、反射的なのだけれど、事の大小に関わらず、私はいつも占いの引き出しをあけてしまう。

芽が出てから暫くして雪が、降った。春なのに・・・。

外出先にいた私は、春の雪を見ながら早く帰りたい。はやく帰りたい。と帰心矢の如く足が浮いてしまった。「あの子、寒くしていないかなぁ。凍えていなかしら?」たかだか、草ひとつのことで・・・?とは思うものの心の中はザワザワとノイズでいっぱいだったのだ。
この事を後で友人に話したら「それはね、深層心理を分析すると他に帰りたい大きな理由が潜んでいるはずなのよ。思い当たるふしがあったでしょう。芽のことで正当化しただけなの。」との事だった。さて、それは、なんだったのだろうか?究極の義理ででかけた会で、本来だったら全く興味がないような世界だから?それとも、隣り合わせたマダムの香水がきつくて気絶寸前だったから?自慢話ばかりするオバサマにリップサービスをしている自分にほとほと愛想が尽きて情けなく思えたので?

まぁ、そんなところかもしれない。心ならずも束縛されている状況は、時間の浪費。人は、やはり自由でいてナンボみたいなところがあるものね。
その後、柿の木の同居者は、スクスクと大きくなった。今や「蓮華草」と立派に名乗りを挙げて、柿の木に弟子入りした風情で幅をきかせているのだ。
風がそよぐと葉を揺らし、太陽にむかって手を広げ、雨が降るとすこしだけ葉をすぼめている。演技派でかわいいヤツめ。そう、想いながら毎朝草花にむかいながら、ベランダでぶつぶつ言っている私を見ているうちのネコはどんな気持ちなのだろうか?
何日かして、蓮華草は蕾をつけて優しい花の顔を見せてくれた。思えば、この花は、どこからやって来たのだろうか。鳥が運んできたのかも知れないし、風からの贈り物、土を買ってきた時に混ざっていた一粒の種かもしれない。種は種で何処の地をよすがとして誕生するのかは知る由もなくやって来たのだ。

こんな小さな事だけれど、因果のプロセスをしみじみと感じてしまう。種ばかりでは、花は咲かない。鳥や風。土や太陽。雨との巡りあわせによって花開く日が訪れる。種と花の間にあるのが縁だとすれば私たちもまた、自分という種を咲かせてくれる縁との出会いが大きいのではないかと思う。
やはり、縁は人生を変える魔法なのだ。

縁と月日の末を待て、というような諺もあるくらいだから、気長に待っているうちによい縁はきっと巡ってくる。
あの花の種のように風に乗って・・・
あるいはまた大いなる宇宙の神秘に手を引かれながら・・・
縁もまた縁となるべく人を求めてやってくる。

縁がないと嘆くなかれ。小さな草花にも縁があっての物語がある。
きっとやって来る。必ずやって来る。
その日を信じてこの日一日を丁寧に生きよう。

 

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2017/3/21 第4回 野菜売りのおじさん
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 水曜日と土曜日の昼ごろ、小型トラックに野菜をたくさん積んでくるおじさん。
どこからやって来るのか、ちゃんと聞いたことはなかったが、埼玉方面からのようだった。でも、最近来なくなったので少し寂しい。来なくなる少し前に聞いたそのわけは、トラックを止めておく場所が無くなるからだという。

私が暮らしている街は新宿区なので、駐車場の環境はかなり厳しい。それでも、おじさんは今まで、何十年も水曜日と土曜日になるとやってきたというから、そうとう長い期間にわたり、町内の人たちに季節の太陽や土の匂いがする旬の青果を運んできてくれたのだろう。
常々、運は食からと思っている私は、季節の恵みを旬に食べることが最高の「食べ物風水」だと思っているので、トラックいっぱいに積みこまれた野菜たちを見ると、心にビタミンスイッッチ!が入って幸せいっぱいになる。
それに、曲がったキュウリや、おかしな形のトマト、ふぞろいなピーマンを見るたびに、自然児たちに会っているような気がして、遠い昔に食べた青臭い匂いがやって来たり、クレヨンの箱をあけた時のような、カラフルな心模様になったりして、いっぺんに疲れがとれる思いがした。

おじさんは、昔ながらのゴツゴツした手触りの前掛けをして、肥後の守(くだものナイフのようなもの)でミカンやリンゴを切っては試食をさせてくれた。「おいしい!これお願いします!」と言うと、待ってましたとばかりにドカーーンと箱ごととんでくる。ネギある?あいよ~。ホウレン草は?あいよ~。ついでにトマトも持ってきなよ。今度は、こちらがあいよ~の番である。こうして、計画性のない買い物が続き、はっと気が付けば大きな袋にふたつも野菜と果物が詰め込まれ、持って帰るというよりは背負ってヨロヨロと帰るというふうだった。

肝心なお勘定はと言うと、アバウト男と好い加減娘が結婚したかのような適当なもので、まっ、700円くらいのもんかな。で、決済終了。千円札を出すと、あとは前掛けのポケットからザクザクお金の音がして、300円也のおつりが渡される。おつりが無いときには、「まっ、こんだ(今度のことです)でイイヤ」で終わり。でも、そうはゆかないからと言えば、またしても、ドカーンとバナナが一山とんでくる。

近所に住んでいるお年寄りには配達サービス付きなので、自転車に乗せて左手はハンドル。右手で後ろの野菜箱を押さえながら出かけてゆく。いやはや、全く・・・。

私の子供の頃は、こんなスタイルでの買い物が多かったから、八百屋のおじさんやお豆腐屋さん、納豆売りのお兄さんとか、魚屋のおばさんと大の仲良しだった。
「さっちゃん。今日もいい子にしてたかや?」「牛乳を飲まんと背がのびんよ。」「お母ちゃんの風邪のあんばいは、どんなだね?」
行く先々で言葉と言葉があった。言葉はまるであやとりのように次から次へと姿を変えては、「はい、次は何が出てくるかな?」と、子供心にも大人の人と話ができることが、ちょっと自慢でうれしかった。

だから、町内にやってくる野菜売りのおじさんには、昭和30年代の匂いを感じ親近感があったのかもしれない。それに、占いの話もできて楽しかった。
「俺は昔から丈夫で、病院には一回も行ったことがないからサ。血液型もわかんねぇけど、あの占いってヤツでみるとサ。五黄ってヤツだから、丈夫で長生きなんだとサ。」
「ふーーん。五黄ね。意地っ張りで根性があっていいヤツが多いんだって。」
「ほ~。おねえさん。占い知ってるの。」
「うん、まぁまぁだけどね。ちょっとは。」
しかし、ここで、本職が・・・だなんていうのも野暮でしょ。

都心はといえば、垂直にビルがどんどん立ち並び、小さな公園や庭は飲みこまれるようにビルの一部になってしまう。おじさんがトラックを止めていた場所は、これからどんな景色になるのだろうか。
トラックを止めていた場所の近くに咲いていたタンポポの花や、つゆ草がそのままだといいなぁ。明日は水曜日だから、行ってみよう。もしかして、「やっぱりサ。もう暫くいいんだってよ。」
その言葉とともに、おじさんの姿をみつけることができるように祈りつつ。

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2016/11/30 第3回 深まる秋の中で
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 深まりゆく秋には淋しさと神々しさに加えて、去りゆく前のにぎやかさのようなものが混じっているように思う。
 別れがたいので、なんだか大騒ぎをして淋しさをふきとばすと言うか、忘れるというのか。とにかくも冬にバトンタッチをする前に、山の神様を引っ張り出して一大イベントをしてから、店じまいするというような意気込みを感じる。CM風に言えば紅・黄・みどり・金銀が重なり合う、荘厳なカラープリント。全山をあげての無料ご提供。3名様以上でご入山の場合は、もれなくリスさんやシカさんと記念撮影付き!! そんな感じだろうか。
 移ろいゆく季節に、寒く淋しい景色がやってくるのがわかっている時、にぎやかなことを好むというのは、人間のみならず自然界もそうらしい。
 森の動物たちは、そんな感傷に浸る間もなく、冬支度に忙しいのかもしれない。アケビの実をつぐむ鳥たちは、冬に備えて体力を蓄えているのかしら・・・。カケスやリスは、木の実さがしに明け暮れているのかしらと、こどもの頃に読んだ絵本を思い出す。
 自然界からの恩恵が森林に暮らす動物や鳥達に慈しみの糧をもたらす黄金の季節は、北風の中にも温かさを感じる。小さな命たちへのめぐみは、本当に尊い。

 かつて、幼稚園につとめていたとき、園児たちに「秋の終わりになると森の木々は、みんな手を繋いでリスさんやウサギさん、そして、鳥さんたちのお母さんになるんだよ」と、話して聞かせたら「どうして!?」「さあ、みんなはどう思う?」と、不思議なナゾナゾをしたことがあった。
 しばらくすると、「木の葉っぱを落として温かいおふとんを作ってあげるから?」とか、「みきの穴のところにお家を用意して寒さや雪から守ってくれるからでしょう?」等々・・・子供たちの感性がみずみずしい言葉の宝物になって返ってきた。
 「先生は、どんな考えで木がお母さんだと思ったの?」好奇心でキラキラ輝く、園児の瞳を見つめながら、「先生はネ、冬の寒さに負けないように、木の実をたくさん動物たちや鳥さんに食べさせているから、森はリスさんたちのお母さんなのかな~って思っていたの」「ふーん、そうなんだぁ・・・」そんな話しをしながら秋の歌といえば、やはりこれが定番でしょう・・・の「どんぐりコロコロ、どんぶりこ、・・・」
 みんなどうしているかな・・・ドングリを見ると想い出す。なつかしい、なつかしい秋の大切なフィルム。

 秋の深まりを感じるある日のこと、晩秋の森にむしょうに出かけたくなった。それは私にとって、いつも懐かしいフィルムを眺めるときのような、はるか遠くのものをみるように感じることのひとつなのだった。
 遠くからみる懐かしい秋ではなく、すぐそこにある秋に会いにゆきたかった。西武線に乗り、奥武蔵まで。足の下でポキポキと音をたてて折れる木の枝の音とピシパシと割れるような木の葉。誰も歩いていないので話し声は無く、ただただ、風と渓流だけがそばにいた。
 私は、この時どうして急に秋に会いたくなったのか。厭世的とも違うし疲れていたからとも少し違うけれど、心の屈折率が高くなって、やや逃避的な傾向があったのは否定できない。屈折率が高くてもよいのはダイヤだけだ。ここでつまらないことをつぶやいてしまう。我ながらシャレにならない・・・。

 この頃の私は、無意識のうちに他者比較をしてしまう自分にホトホト嫌気がさしていた。なにか物差しがおかしい。そのように思う時には、いつも壁のように誰かの存在があって勝ち負けで判断をしていたのだ。最終目的は勝者を目指していたわけでもないのに、何のための勝負や勝利なのか、自分の気持がよく見えなくなっていた。
 心の中にある他社比較という影絵に常におびやかされ、未熟で貧しい心は歪んだアングルからものを見ていた。もちろん、勝ち負けを唯一無二の自分のポリシーにする人があってもいい。とことん勝つ!ことに照準を合わせ、常にフラッグをたててがんばるなら、それもまたよし、と思う。迷いがないことは、その人を強くする。そして幸せにするのだ。
 こんな気持ちで今の仕事を続けていてもいいのか。許されるのか。そういう迷いがまた、より一層、心の混沌の面積を広げていった。
 「求めよ、さらば開かれん・・・」ではないが、人は自分が求めていることに素直に、真っ直ぐに向かえば、相手のほうから呼んでくれる。道ができる・・・。
 秋に郷愁を感じたのは、葉を落し冬支度にとりかかっている森を感じてみたい。他者比較という虚しい心の葉を落とすために、深い秋の森に導かれるようにして足を運んだのかもしれない。
 沢まで降りて何気なくふり返ると大きな鹿と目があった。黒スグリのように大きな目をこちらに向けながらも、鹿はゆうゆうと森の中に消えて行った。目をそらさず微動だにしない。意識を消し、声ひとつたてない。森は、私にこのことを伝えたかったのだろうか。
 里におりて振り返ると茜色の空の中で、山は、最後のご奉仕とばかりに黄金に輝いて手を振っていた。

 その年を越す頃だっただろうか。他者と比較していた自分は、どこかに引っ越ししていた。転居先はどこなのだろうか。今はもうすっかり不明である。

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2016/10/27 第2回 しいのみごはん
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 植物が大好きな私が人生でもらった一番大きな贈り物。それは、新宿御苑との出会いだった。そこには、四季をとおしての絵巻物があり、植物や鳥、小動物たちと私の友情がある。そんなことを思うようになったのはいつのころからだろうか。その友情に支えられて、いくつもの大きな障害を越えてきた。
 ユリノキやケヤキ、イチョウにしがみついて泣いたこともあった。大木たちの幹は、弱虫で小さな私を、あたたかな見えない手でしっかりと抱きしめてくれた。
 人は、小さなことでも、ささやかなことでも、心の中に灯がともると大きな勇気が湧いてくる。多くの文学作品や映画の中で語られる勇気の源には、そっと支えてくれる小さな手や何気ない言葉の存在があるように思う。
 御苑の木々や草花。そして鳥。時には、カエルやオタマジャクシたちが私を受け入れてくれる。私の勇気の一部にはカラスもスミレもケヤキも桜も、ぜーんぶ入っていると思うと、落ち込みは愉快な想いとともにスカッと消えてゆく。
 幸せなことに御苑までは徒歩3分の距離。年間パスポートを購入し、春夏秋冬の移ろいを眺めに出かける。大木戸門から入って右に行くか、左にしようかと迷っていると、温室に目移りしてしまう。正面にある静かな池と松を見ながら芝生でランチをするのもオシャレだし……。そうだ、こんな時は占いで決めよう、というわけにもいかないので、風の誘いにまかせ、芝生の上を裸足で歩きながら心を沐浴させてみる。
 お母さんと子ども。老夫婦。外国から一人旅の人。若い恋人たち。学生の一群。老若男女が行き交う中に身を置くたび、それぞれの人生があるのだろうなあと、しみじみ実感してしまう。
みんな、大なり小なり悩みや迷いがあって、それでも生きている。がんばって、がんばって生きてゆく。私は時おり、悩みを抱えた人たちの後ろに回って、そっとお手伝いをする。それが私のなりわい。木にしがみついて泣いている場合ではないのだ。
 しかし、占い師とて人の子。私にも悩みも迷いもある。おそれも怒りもある。心の中には黒い繭玉が隠れている。かといって、誰かに相談するのもはばかられる。友人には、自分で占ってみればいいのにと言われるけれど、気が滅入っているときの占いはうまくゆかない。
 そんなとき、私のカウンセリングを引き受けてくれるのが御苑の自然。植物や水や風や光の輪の中に入ると、心が浄化されてゆくのを感じる。日照時間が足りない心の中に薄日が差し込み、内側からゆるやかにあたたまってくる。考える勇気を失い萎えた気持ちに、森を抜けてきた風がサラサラッと魔法の粉をかけ、「元気をだして~」とささやきながら通り過ぎていく。
 動物は、身体が弱っているときには森の奥深くでジッとしているという。自然界からのエネルギーを静かに取り入れて、自分の内に眠る治癒力を呼び起こしているのだろう。私もまた、森の動物たちのように、心を自然治癒させるべく、御苑へと出かけているのかもしれない。

 秋になると、御苑のシイの木は地上にいる食いしん坊たちに季節の恵みを施す。ほとんどの人は、シイの実なんて知らないかしら。ドングリが小型になったような感じのかわいい実だ。風がふくとバラバラバラッと音をたてて落ちてくる。
 実は、このシイの実、ご飯に入れて炊くととてもおいしい。栗よりもえぐみがあってやや硬い感じがするものの、ゆかりや黒ゴマなんかをかけると「もう一度食べたいフォルダ」に入る立派なひと品になると思う。
 去年の秋もシイの実を拾っていたら、年配の人に「ああ、懐かしいなあ。戦時中によく食べたものです」と声をかけられた。炒ってから炊くと香ばしくて、よりおいしいとのこと。さっそくやってみたが、ポンポン音をたてて弾け、フライパンから飛び出してしまう。
 ネコにとってはかっこうのオモチャになったようで、次から次へとコロコロ転がして遊んでいる。いつだったか、生きたままのエビが届いたとき、箱を開けた途端、おがくずの中でエビと一緒に飛び跳ね、それはもう大変なことになったけれど、まさかシイの実がネコの遊び道具になるとは……。思ってもみなかったので、一人で笑い転げてしまった。

 今の時代、かつて食卓にのぼっていたことさえ忘れられつつある料理がたくさんあるのだと思う。だから、大切にしたいな、昔の味。そうだ、我が家のご飯物レシピの「さ」行の一番は、「シイの実ご飯」にしよう。
 大自然からの恵みあふれるレシピは、昨今静かなブームになっている医食同源の考え方とも合っているのではないだろうか。

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2016/10/4 第1回 溺れ泳ぎ 

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 いっこうにアイディアが湧いてこない日の原稿書きは、辛い。でも、辛いと感じている時にはまだ脈がある。何が何でも、テーマを探してしゃにむに締切へと向かうエネルギーがある。結果的にむちゃくちゃなものしか、できないかもしれないけれど、それなりになんとかがんばってみようという意志がある。
全てを放棄して、まるっきり、棺桶に入っているような状態とは違うのだ。
曲がりなりにも、無我夢中で向こう岸まで泳ぎ着こうとして、溺れているのか、泳いでいるのか、わからないようなフォームでバタバタやっているうちに気が付いたら何とか、日が暮れないうちに岸に到着していた。
 そんな感じに似ている。水に飛び込んだら後は野となれ山となれ式なのだ。ふ~。

「懐かしの溺れ泳ぎ」としてたった今、記憶の引き出しの中から出てきたこのジタバタ泳ぎ。なにもしないでいるよりは、目の前にあるなにがしかのことに藁をも掴む思いで迫り、一本の藁からマジックのように何かを生み出す。ほぼ、徒手空拳のようなことにちかいが、仕事における私の「座右の銘」でもあるのだ。
原稿が進まない日は、とにかくこんなふうにして頭の中にある大過去の記憶フォルダの検索やら、にわか読書で題材探しやら、書き物の材料探しで頭がいっぱいになっている。関西風に表現すればしんどい。新潟弁では、難儀い。鹿児島的には、のさん・・。熊本あたりでは、もうだめバイとか?
方言も諸国乱れて更に頭の中をかき回してくる。こんな時に方言が頭をよぎるなんてまだ余裕?それとも、もう何でも良いから一字でも一文でもマス目を埋めたい一心からかしら?いずれにしてもいやしくもここまで休まずに書き進んできた。

 さて、さて、溺れ泳ぎのことを急に思い出したのは、原稿が進まない。時間が迫ってくる。全くはかどらない。終わりが見えない・・・。でも、のたうち回りながらも結果的にうまくいったかつての成功体験が体内のどこかに眠っている。そんなことからだ。

 いつかどこかで味わったこの体験は凄くみっともないものだった。でも、間に合った。そうそう、なりふりのことはともかくとしても時間内に目的を達成した記憶だ。ここで、体内60兆の細胞たちが小学3年生の夏に行われた、水泳実習へと記憶のコマを戻してくれた。
私が生まれたのは日本海に面した海辺の街だったので、夏になると海は大好きな遊び相手で毎日、毎日、「遊ぼう~」「はーい」の関係だった。今頃では水着と呼ばれているものは、その昔には海水着と言われていた。頭にはビニール製の海水帽。ピタリと頭を覆い、あごの下で紐を結ぶようになっている。でも、耳に海水が入るのを防ぐためにかぶるこの帽子を子供ながらに、私は嫌いだった。だって海から顔を出した瞬間、タコみたいな感じになって、どうひいき目に見てもかわいくないのだもの・・・。
三日もすると海水帽の痕が顔の輪郭にくっきりと白、黒をつけるのでまるでお面をかぶっているようになった。それもいやだった。
 とはいえ子供の頃は、夏休みにどれくらい日焼けをしたのかが二学期のステイタスのひとつだったので、日々どうすれば日焼けが出来るか?そんなことばかり考えていた。折り紙のこげ茶色を目標にした夏があって、その年は背中の皮が二回も三回もむけた。二学期のスタートが待ち遠しくて一向に進まない宿題はともかくもとしても早く学校に行きたいなぁと思ってものだった。

 クロールの息継ぎや正しい平泳ぎの足の形などは、まだ学校で教えてもらっていなかったので、自己流なフォームで泳ぎ方を身につけ、それは決して美しいフォームでもなんでもないのだけれど、お父さんに倣ったからとか、従妹達もそんな感じで泳いでいるし、お兄ちゃんだってそうだからと、一番のおチビだった私は、すっかり身内の言うことを信奉しつつ、自分勝手な泳ぎかたで得意になってグングン泳いでいた。
そんなわけで私の泳ぎは、凄く水しぶきが上がり、一見して溺れているようなのだが、、よーく見るとしぶきの塊りとともに体は前に進んでいるというオリジナルスタイル。体育の先生も水に飛びこんで助けるべきか、暫く様子を見るべきか困っていたのかもしれない。
このスタイルは、その後の私の人生の泳ぎ方を暗示した。名付けて「溺れ泳ぎ人生」。
じたばたして討死寸前のところで、「あ~たどりついた~。なんとか間に合った~。」いつも、そんな感じ。岸に上がると、心配そうに見守る優しい人たちの顔がそこにあった。潮風に背中をさすってもらいながら「大丈夫?」の声を聞いて一安心。
まさにこんなことの繰り返し。思うに優しい人たちに囲まれて寛大なお許しを貰いながら、今迄生きてきたと思う。


 つらつら、こんなことを書いているうちに、茜色の夕焼けに身体が包まれてきた。どうしようかな?こんな思い出話でお茶を濁しつつ、本日の原稿はここまで書いてきた。
方言のあたりから更にジタバタしているうちに1000字以上も筆が進んでしまっている!やっぱり何もしないより、ほんの少しでも目的に近づくためには丸腰でも無手勝流でもやってみるべきか・・・。しかし、この原稿でよし!終了!というのも姑息な感じがするし。
アラジンと魔法のランプの中に出てくるようにランプをひとこすりすると「ご主人様、あとは私が引き受けます。」この一言を聞きながら、「よきにはからえ」とばかりにこの原稿の続きを任せるというような奇跡がおこらないかしら?


 神様にお願いしても、このたぐいのお願いに神様の耳は遠くなるらしいし、ここはやはり、モロ、溺れ泳ぎ式の進行でお粗末様でした。そんなことにしておこう。